被綁架的橫田めぐみ

北朝鮮問題を考える

NPO法人 京都日中文化交流中心  
                           理事 金 鐘八

北朝鮮は魔界の巣窟である。
 ここには、パンドラの匣にも収まりきれないほどの百鬼悪霊がひしめき蠢(うごめ)いている。殺人、誘拐、謀略など、以前なら社会主義者が、「それらは資本主義社会特有の悪弊」と揶揄する現象が、ここ北朝鮮では国家的規模で臆面もなく行われているのは皮肉としか言いようがない。
 


北朝鮮の闇市場
  あらゆる犯罪の温床
 国連加盟国は190余りという。その中にはアメリカのように巨万の富を有する国もあれば、中国のように世界の人口の四分の一を占める国もある。逆に、人口や領土が日本の一県にも満たない国もある。しかし、大小はともかく国家は国家としての最低限度の矜持と風采を備えているものである。ところが、おおよそ国家と称される北朝鮮では国を挙げて犯罪の温床となっている。偽ドルや偽パスポートを作ることなど朝飯前である。誰はばかることなく堂々と芥子を栽培し、化学工場で優秀な技術者(?)が麻薬を精製し、密かに他の国に流出させ外貨稼ぎにやっきとなっている話など、誰が信じようか。ICPO(世界刑事警察機構)などの資料によると、北朝鮮は麻薬輸出国の筆頭に挙げられるという。麻薬生産地の主要な一つに比定されていたあのアフガニスタンでも、かつての悪名高いタリバン政権は厳罰を以ってそれらの犯罪を取り締まっていたというのに。
 私の知っている範囲でも、北朝鮮では60年代からこの忌まわしい‘事業’に手を染めていた。昔は、北朝鮮の外交官がヨーロッパで外交官特権を利用して麻薬の運び屋になり、逮捕され国外退去の処分を受けた事件が珍しくなかった。その際、追放されたある外交官は、「本国から生活費の代わりに支給された」と弁解していたのはまことに人倫のかけらもない。これは今も続いている。日本でも流通している70%位の麻薬は北朝鮮産で、例の不審船が一役かっているのはいうまでもない。
   真の領導者とは
 私はかつて、北の当局者を『人面獣心』だと表現したことがあったが、真実彼らは人間の心を毫も保持していない。人並みの心をもっていないが故に、いたいけな少女を攫(さら)っても何の痛痒も覚えない。「革命の大義」だと称し夥しい国民を飢えさせ処断しても、恬(てん)として恥じない。一片の良心の呵責も感じない。それらの最たる責任者の親玉が、金日成、金正日父子であるのは明白だ。
 平壌(ピョンヤン)に度々行っているある友人がいみじくも述べていたが、「この国で政権側に立つ人とそうでない人の区別はすぐつく。肥えているか、痩せているかで」と。
 こんな話を思い出した。ベトナム戦争が激しさを増した70年代の初め。モスクワで非同盟諸国が集まり、ベトナム支援の会議が開催された。北ベトナムの抵抗の象徴といわれたホーチミン大統領も勿論招かれた。政府差し回しの高級車から、大統領は脱兎のごとく飛び出し、クレムリンの大階段を上りだした。その後を大柄のロシア人の役人達が慌てて追いかける。ホーおじさんのその風貌は、たった今ジャングルから出てきたというふうに粗末な黒っぽい衣服から細い二の腕を出し、足元は素足でサンダル履きであった。私はテレビのニュースでその光景を見たのだが、「これでベトナムはアメリカにきっと勝つ」と、妙に得心した記憶がある。北朝鮮国民の悲劇の一つは、ホーチミンのような私心のない指導者を持ち得なかったことに尽きるのではないか。
 私は歴史家でないからよく分からないが、北朝鮮はいつからこんな酷薄な国へと変貌したのであろうか。70年代の前半まで北朝鮮の方が韓国より遙かに生活実感のある国であった、との認識が私たちの世代にある。しかし、先年韓国に亡命した黄長燁氏(北の政治体制の根幹をなす主体思想を創生した)の著書を読むと、実はそうではなく、金日成は50年代の頃から政敵を全て処断し、少しでも自身に反抗の兆しがあると、当事者だけでなくその一族もろとも徹底的に弾圧するという恐怖政治を敷いていたそうだ。そういえば、60年代から在日朝鮮人の帰国事業が本格化したが、その直後から帰国者の手紙には、「裏切られた」「地上の楽園どころか、ここは地獄だ」などと怨嗟を連ねる言葉が満ちていたのを覚えている。一見、穏和そうにみえる金日成の表情の裏には血塗られた非情な粛清の歴史があった。自分たち一族にとって不都合、不如意な政敵や民衆を有無をいわさず屠(ほふ)り続けた結果、父子で国家を牛耳るという世界史でも未曾有の「欺瞞国家」を生みだした。
   人権を無視する北朝鮮
 78年頃のことである。ロンドンのアムネスティー本部から派遣されてきた係官とたまたま会った。彼は私に一冊の資料をしめしながら、「アジアで最も人権が阻害されている国は北朝鮮である。韓国だけでなく北朝鮮問題にもっと関心をもって欲しい」と。当時の私は、軍事独裁政権下の韓国の人権問題の対応に追われていた。韓国の獄中にある政治犯達の救援に日夜奔走してたいたので、急に対象相手を変えることなど無理であった。だが、その夜読んだくだんの資料は、私の脳幹の中枢を麻痺させるほど凄まじいものであった。
 内容はこうだ・・・。チリの漁船員がたまたま難破し北朝鮮の海岸に漂着した。通常なら国際的なルールに従って手厚く保護され本国への帰国という措置が採られるのだが、どういう訳か北朝鮮政府は全く逆の判断を下したのである。彼は一方的にスパイ容疑を掛けられ特別収容所に拘禁された。結果的には、数年後にそこを命からがら脱走し、ロンドンで記者会見を果たすのだが、そのニュースは日本では伝わらなかった。しかしこれは、北朝鮮の人権状況が一次資料として伝えられた初の稀有な例であった。
  資料の中でも私の興味をひきつけたのは、やはり特別収容所の生々しい実態の描写である。まさしく地獄絵図で、地球上でこんな場所がまだあるのが不思議であった。以前からアメリカあたりの衛星情報として、北には十カ所以上の政治犯収容所があると聞いていたが、私たちはそういう話は多分に為にする眉唾ものだと思っていたが、そうではなかった。韓国の刑務所の待遇もひどいが、北の収容所と比べると格段に違う。後年、北から韓国への亡命者が増えるにつれ、その中でもこれらの収容所の体験者が少なからずおり、その記録と照合してもチリの漁船員の特異な体験は全くその通りであった。
   「北」に無関心な日本世論
 遅まきながら私たちが、公然と北朝鮮の人権問題を取り上げるようになったのは90年代になってからである。そして、予想通り旧来の日本の組織は全くといっていいほど、この問題に対して動かなかった。いわゆる革新的な人は、「社会主義者がそんなことする訳がない」とか、「お前らは単にあやふやな情報に踊らされている」と、強く面罵されたこともある。また北朝鮮政府の日本における利益代弁団体である朝鮮総連の影響力も見過ごせない。彼らは巧妙に日本社会のあらゆる領域に浸透し、恣意的に絶えず北の誤った宣伝を展開していた。反北朝鮮の集会やデモがあると、決まって朝総連の若者たちが動員されて、その進行が妨害されることが一再ではなかった。
  だが何よりも私たちを悩ませたのは、日本の世論が動いてくれなかったことだ。つまり、マスコミや文化人・知識人の反応の鈍さであった。日本海を隔て飛行機で行けば僅か2時間に満たない国で、住民の緩慢な虐殺が進行しているなど、なかなか信じてもらえないかもしれない。
  あるジャーナリストは、「得体の知れない国だとは分かるが、情報が入らないから」と語っていた。だがこれは単なる自己弁護に過ぎない。80年代以降は、中朝国境から脱北した難民から、北の情報が洪水のように溢れていた。少し立ち止まってそれらの一端に真摯に向き合うならば、あるいは想像力をほんの少し働かせるならば、あの国の内情は容易に理解できたはずだ。
  90年代の後半になり北朝鮮での食糧不足がいよいよ深刻の度を増すと、マスコミの方は少しは関心をもってくれるようになったが、かつての進歩的といわれる日本人や朝鮮人の文化人たちの沈黙は相変わらずであった。その頃、私は色々な人に率先して会い北朝鮮問題に取り組んでくれるよう説得したが、まるで糠に釘を打ち込むような手応えのなさに暗然としたものである。「北朝鮮の現況は、アウシュビッツやポル・ポトの大虐殺よりも酷いかもしれませんよ」という私の発言に、大方の人が呆れたというように苦笑いをしていた。私が口を酸っぱくして色々な証拠を示しても、あるいは興奮すればするほど彼らは私の発言をヨタ話程度くらいにしか受け取っていなかったようだ。
  しかし、今年に入りその状況は一変した感がある。その一つは、中国、瀋陽の日本領事館への北の難民の駆け込み事件であった。相次ぐ難民の亡命劇が、北の容易ならざる状況が一向に改善されてないことを如実に示していた。そして、9月17日の小泉、金正日会談で北が拉致事件を認め謝罪をしたことが、その気運の頂点となった。

   日朝国交回復を急ぐな!



横田めぐみさん
 17日の拉致被害者家族らの記者会見は、本当に涙なくしては見られないものがあった。とくに、25年前に中学1年生で拉致された横田めぐみさんのご両親の悲憤は、私自身の悲憤でもある。ただし私の慷慨は、私自身の母国の暴走を阻止できえなかった悔恨であり、拉致被害者の背後に頻々と横たわる無数の北朝鮮市民への尽きざる憐憫でもある。彼ら彼女らは、ほとんど誰からも顧みられることなく、今も隷属の軛(くびき)の下で呻いている。
  日本は間もなく北朝鮮と国交を樹立するであろう。拉致事件の悲惨な顛末にもかかわらず、総じて日本の世論は、国交がない故に起こったのであるから、再発を防ぐ意味でも国交を回復すべきだという。その論理は一見至当のようである。だが、私はやはり反対だ。北朝鮮は変わりつつあるとの意見が大勢だが、それは嘘っぱちである。私の長年の活動から導き出されるのは、かの国が現体制を維持しつつ変わることなど金輪際ありえない。安易な国交回復は、「収容所国家」の固定化に手を貸すことに繋がる。今の金王朝政権が瓦解しなければ北朝鮮民衆の辛酸と苦痛は決して癒されることはない。北朝鮮に援助を差し伸べても、それが末端の市民にまで行き渡る保証などなく、逆に歴史の歯車を逆行させかねない所業だ。
 前世紀ならいざ知らず、この時代に無辜の市民が数百万人も餓死し、十万を超える政治犯が収容所に送られ塗炭の苦しみに喘いでいる。平壌(ピョンヤン)は例外として、地方では路傍に死者が累々と放置されている国など何処にあり得ようか。金正日を頂点に、国民を飼い馴らし従順に屈服させるため、国内の隅々まで密告網が張り巡らされている。体制に少しでも不満を漏らせば、妻は夫を、子は親を、生徒は教師を当局に通報するという。食糧不足で明日をも知れぬなか、人権無視のがんじがらめの体制ゆえの人心の精神的荒廃も見逃せない悲劇の一つだ。
  歴史上、様々な独裁国家が存在したが、北朝鮮ほど完璧な民衆隷属体制を作りえた国を、私は知らない。再度繰り返す。金王朝は崩壊しなければならない。それからが全ての始まりであって、それ以外の選択肢はありえない。
   北朝鮮崩壊が全てに優先
 韓国、日本、中国、米国、ロシア、これらの国は朝鮮半島においてそれぞれの利害が輻輳している。それ故、北のソフトランディングを狙っている。極東の一角の不安定要素は厳に避けなければならないと考えているが、これら大国の思惑の中には、北朝鮮民衆の悲嘆に暮れる切実な思いなど全く顧慮されていない。
 北朝鮮はもはや、国家の体(てい)をなしえていない。人口の数パーセントを占める悪逆非道な無頼漢が自分たちの奢侈と放縦を恣(ほしいまま)にするために、他の圧倒的多数の市民の財産と権利を簒奪しているだけだ。かつての「オオム真理教」と寸分違わぬ、規模だけ大きくした一種の欺瞞国家だ。
  北の為政者は、今自分たちの置かれたにっちもさっちもいかぬ状況をよく認識している。それゆえ、自分たちの権益を守るため、従来とは異なる妥協を表面上やむを得ず行っている。ただ援助を欲しいがために行っている。彼らの二面性は、拉致事件の反省を国内向けには全く報じていないことからも明らかである。彼らが心の底から、改悛、反省することなどあり得ない。その鎧の下には援助を得れば儲けものと、ほくそ笑む醜悪な魂胆が見え隠れしている。
 北朝鮮の民衆は自らの酷薄な運命をただ呪詛し厭悪するだけで、ひたすら堪えることしかできないのだろうか。そして私たちも、彼らの窮迫した状況を単に座視するしか方途はないのだろうか。

追記:北朝鮮問題を考えるための参考文献を記す。以下は比較的入手しやすく、北朝鮮の実態が容易に理解できる。

 『北朝鮮を知りすぎた医者』(ノルベルト・フォッツラン著、草思社、上1.800円 下1.600円)
 『涙で描いた祖国、北朝鮮難民少年チャン・キルスの手記』(石丸次郎訳、風媒社、1.700円)
 『北朝鮮に消えた友と私の物語』(萩原遼、文藝春秋社、1.800円)
 『黄長燁回顧録、金正日への宣戦布告』(文藝春秋社、1.800円、続1.600円)
 『北朝鮮に拉致された男』(李在根著、河出書房新社、1.600円)

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